この記事では、黒澤明監督の第3作品目の映画『続姿三四郎』のあらすじと映画の解説をご紹介します。
1945年5月3日・終戦の直前に公開された『続姿三四郎』。
黒澤明監督はこの映画の製作に乗り気ではなかったそうです。
それでは、黒澤明監督の作品を溺愛し続けて40年の筆者が、『続姿三四郎』のあらすじと映画の解説をご紹介しますね。
「続姿三四郎」のあらすじ
姿三四郎は二年間の旅を終え横浜に帰ってきます。
するとそこにたまたま人力車があり、乗っていたアメリカの水平が車引きの少年に暴行を加えている場面に出くわします。
最後の一撃を決めようとした水平の手を三四郎が取り暴行を止めます。
そんな三四郎に水兵は挑みかかりますが、結局は港に投げ込まれてしまいます。
また横浜では白人たちのボクシング大会が行われており、白人女たちはそれを見ながら飲み食いしています。
そこでは米人ボクサーと日本の柔道家のイベントが行われており、見かねた三四郎が柔道家に「やめなさい」と諭すと柔道家は「こんな風に落ちぶれたのは柔道のせいだ、いや、君のせいだ!」と言いながら結局ボクサーにやられてしまいます。
やがて修道館に2人の人物が現れます。
その二人とは前作の檜垣源之助の弟・檜垣鉄心と檜垣源三郎でした。
実は2人は九州から兄のかたき討ちと三四郎を探しににきた空手家だったのです。
2人は一旦はは引き揚げますが、以後修道館の門弟が夜道襲われる事件が続き、三四郎は2人との対決を決意しますが…
「続姿三四郎」の解説
姿三四郎は「姿三四郎」のヒットに気をよくした東宝が、黒澤に続編を作ることを命じ、しぶしぶ撮ったといわれている作品です。
しかし続姿三四郎は、巨匠が他の作品では決して見せなかったような、「B級娯楽映画」的な魅力に満ちあふれています。
まるで東宝からのゴリ押し企画なんだから、俺様の好きなように撮ってやる! といわんばかりに、前述のアニメやらボクシング映画やら西部劇の決闘場面やら、とにかく「アメリカ映画」のスタイルを詰め込んだ作品となっています。
クライマックスでの雪原での対決場面も、ほとんどバカバカしいくらいデタラメで、何だか「面白けりゃいいんだろ!」という若きクロサワの心の叫びが聞こえてきそうです。
だがしかし、これが効を奏し続姿三四郎は大変面白い作品となっています。
特にクライマックスの雪原での決闘シーンは圧巻で、前作に劣らずダイナミックで、娯楽作品としては最高のシーンのひとつとなっています。
「続姿三四郎」を観た私の感想
続編は、最初から三四郎が強く有名人になっている設定となっており、この頃は新聞と口コミで一気に彼の強さが伝わったのだろうと想像できます。
そして外人を投げ飛ばすとそれがまた人々の噂を引き起こします。
場所は横浜だと思われますが、ボクシング会場は外人と日本人が半々の状態となっており本当にこんな情景があったのだろうか?とちょっと不思議な感じさえします。
この映画は戦時中の1945年の5月の封切られた作品でありまさしく外人を倒す三四郎を描くことで国策映画として作る事ができたものと思われます。
しかし不思議な事がひとつあります。
戦時中であるにも関わらず、なぜこんなに多くの外人を映画にだす事が可能だったのでしょうか。
映画に出演している外人はおそらくアメリカ人の設定だと思われますが、そこにいるのは本当にはイタリア人かドイツ人だと思われます。
映画のクレジットタイトルに外人の名前はひとつもないので、軍のおすみつきでエキストラを集めたものと思われます。
そういう意味では、最初にでてくるボクシングシーンで日本人が破れ、それを三四郎が圧倒的に倒すという図柄は、本土決戦を喚起する内容として描かれていたとも受けとれます。
そして、三四郎が賞金はいらないと外人にやる場面もも、戦争の精神論として現しているのかもしれません。
ただ映画としては、格闘技の場面も、恋愛も、そこに内在する哲学も、全てにおいて中途半端に終わっている作品であることは否めません。
結果的に、黒澤映画では、最後まで姿三四郎のキャラクターの本当の姿はよく見えてこなかったとも言えます。
この作品はつまる所バックグラウンドにある当時の軍部の考えと黒澤の抵抗を想像せざるを得ない作品となっています。
しかし戦時中という難しい時代に、子供も楽しめるような作品を作ったということ自体、改めて黒澤の凄さを感じる作品ともなっています。
「続姿三四郎」まとめ
黒澤明監督の第3作品目の映画『続姿三四郎』のあらすじと映画の解説をご紹介しました。
この映画に対する私の表かは”The娯楽映画”です。
終戦直前の時期にあって老若男女が楽しめる映画を作り上げた黒澤明監督。
この映画が公開された当時の黒澤監督はまだ35歳でした。
若き頃の黒澤監督の娯楽映画『続姿三四郎』は必見です。
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