この記事では、黒澤明監督の第27作品目の映画『乱』のあらすじと映画の解説をご紹介します。
1985年に公開された『乱』。
この映画が黒澤明監督作品の様式美の集大成だと思うのは私だけでしょうか?
それでは、黒澤明監督の作品を40年間のこよなく愛し続けている筆者が『乱』のあらすじと映画の解説をご紹介しますね。
『乱』あらすじ
戦国の世を生き抜き、やがて年老いた武将・一文字秀虎。
三人の跡取り息子達に自分の領土を分け与えるにあたり、『一本の矢はたやすく折れるが三本束ねた矢を折るのは難しい。』と諭し、息子達に互いの協力を促そうと考えます。
しかし三男の三郎は束ねた矢をへし折り、逆に父の息子達への陳腐な訓戒を批判します。
その行動に怒りを露にした秀虎は、三郎を追放してしまい、領土を長男と次男にだけに分け与えしてしまいます。
だが、秀虎をひそかに忌み嫌う妻の意を汲んで、長男は秀虎を冷遇するようになります。
そして次男も・・・。
シェークスピアの『リア王』を日本の戦国時代も物語にアレンジし、大規模な合戦シーンを交えて展開する悲劇の物語に仕上げています。
『乱』解説
乱はシェイク・スピアの『リア王』を黒澤流に解釈し大胆にアレンジした、老城主と3人の息子たちの愛憎渦巻く争いを描いた戦国スペクタクルです。
黒澤監督自身はこの作品を自分の『ライフワーク」であり、『人類への遺言』でもあると語っています。
さらに黒澤監督は、仲代達矢さん演じる主人公の一文字秀虎が、自分自身をモデルにした登場人物ですとも語っています。
実は乱の企画自体は、既に70年代には立てられており、『影武者』のロケハン時にはすでに準備も進められていたと言います。
しかし、そのダイナミックな内容から映画製作には莫大な製作資金が必要であると予想され、日本の映画会社は赤字を恐れ製作に尻込みをしてしまい、映画製作自体が危ぶまれました。
結局フランスのプロデューサーのセルジュ・シルベルマンが援助を申し出たことで、乱の製作はようやくスタートラインに立ちました。
もしこの申し出がなければ、名作乱は生まれなかったかもしれません。
巨大な城のセットや色彩豊かな衣装、また独自の美しい画面構成など、黒澤映画の様式美はこの作品で頂点を極めたと言っても過言ではありません。
特に城が燃えるシーンは圧巻です。
ただ秀虎演じる仲代さんには『こけたら4億円はパァーだよ』と揶揄されたと言われています。
また嵐のシーンは実際の台風を待って撮影されており、黒澤監督の並々ならぬ執念が感じられます。
もし台風が来なければ来年まで撮影は持ち越しとなり、少し大袈裟に言えば、黒澤監督の納得のいく台風が来なければ、映画製作自体がそこでストップしていたかもしれません。
またこの作品では配役も見事で『どですかでん』でお笑いタレントの三波伸介を使ったのとおなじく、本作品ではクレイジーキャッツでコミカルなイメージの強い植木等さんを絶妙な配役で出演させてます。
この配役の妙が、黒澤監督作品の大きな魅力のひとつであると言えます。
『乱』感想
特に詳しいデータがある訳ではありませんが日本の映画の中で『乱』ほど外国から支持されている作品は他にはありません。
しかし外国人がこの映画に高い評価を与えているのは、サムライ好きな外国人が合戦シーンなどに触発されたせいかもしれないとも考えられます。
ただ、この映画を一度見ただけで批評する日本人は、サムライ好きな外国人と同レベルであるとも言えます。
私自身この映画を何度も観ましたが、観れば観るほどシェークスビアの原作にはない何か、日本的、または仏教的とも言える何かを感じるようになりました。
それはきっとストーリーを追うのに必死だった一度目より二度目、三度目と回を重ねて観た方が、寛容な心を持ち秀虎を許す次男の妻やピーターが演じた狂阿弥の台詞のひとつひとつに冷静に注目できたからだと思われます。
ちなみに本家シェークスビアは『リア王』を書くに当たり、あえてこの作品をキリスト教と無関係なストーリーにしたいと考え、舞台をキリスト教伝来以前のイギリスに設定したそうです。
もしかしたらこの作品は、黒澤監督がそんなシェークスビアの意図を受け変化球を用いて大ヒットさせた映画なのかもしれません。
でも、私はやはりこの作品にはどうしようもなく『日本臭さ』そして黒澤監督らしさを感じてなりません。
『乱』まとめ
黒澤明監督の第27作品目の映画『乱』のあらすじと映画の解説をご紹介しました。
黒澤明監督の様式美の集大成ともいうべき作品である『乱』。
黒澤版『リア王』を是非ご堪能ください。
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