この記事では、黒澤明監督の第14作品目の映画『七人の侍』のあらすじと映画の解説をご紹介します。
1954年に公開された『七人の侍』。
この『七人の侍』は、言わずと知れた黒澤明監督の最高傑作です。
それでは、黒澤明監督の作品を40年間のこよなく愛し続けている筆者が『七人の侍』のあらすじと映画の解説をご紹介しますね。
『七人の侍』あらすじ
土地も人の心も荒涼とする戦国の世、栄華は過去と荒ぶる武士だったものたちが村々で強盗まがいの振舞いを繰り返していた。
物語の舞台となる村も無法者と化した野武士の襲撃を受け、その被害と対処に苦心していた。
利吉も理不尽な目にあったひとりで、村の者たちに野武士に立ち向かうことを打診する。
今年もそろそろやってくるころだろう、野武士たちがやってくる時期は毎年決まっていたのだ。
重い腰を上げた長老は用心棒となる侍を探しに4人の村人を引き連れ町を訪れるが、金を持たない貧相な百姓を願いを耳にしてくれる者など無く、途方にくれるのだった。
肩を落として歩く村人達は騒ぎを目にする。
盗賊が人質を連れて立てこもり騒ぎ立てている。
固唾を呑んで見守っていると初老の侍が盗賊をかたずけ無事人質を救出するだった。
その男の名は勘兵衛、長老と村人はこれぞ天運逃すまいと勘兵衛に事情を話し用心棒を請けてくれと願い出る。
『七人の侍』解説
日本国内の映画製作者からジョージルーカスを始めとした海外の映画監督にまで多大なインパクトを与えた黒澤明さんの金字塔である『七人の侍』。
半世紀以上を過ぎた現在においても老若男女全ての人々を興奮させる世界的名作として、その魅力は尽きることがありません。
これなしでは映画の歴史を語れないほど傑作と言っても過言じゃないでしょう。
脚本やカメラワークなどの撮影手法、撮影中に試行錯誤しながら作り上げたこだわりの演出など映画を形作る要素がガッチリ噛み合い、最初から最後まで目が話せない。
『七人の侍』でユニークだったのは物語の核をなす登場人物たちが話しがすすむにつれて集まってくるところ。
それまでの作品は最初の15分で主要人物は全て顔を出し、劇はその人物達を中心に進んでいくものが多かったため、次々に魅力的なキャラクターが登場しては活躍する本作は当時の視聴者を虜にしました。
この仲間さがしというシーケンスがウケたため、後に続く娯楽作品の多くはこの構成をそのまま作品に取り入れている。
海外作品においてもそれは例外ではなく、『荒野の7人』『高層プロフェッショナル』『宇宙の7人』などタイトルを見ただけでも『七人の侍』を参考にしたことをうかがわせる映画が散見されます。
当時、本作が一般大衆だけでなく映画監督までも魅了したことを如実に物語る事実といえるでしょう。
さらに例を挙げるとロバート・オルドリッチ監督『特攻大作戦』、リチャード・ブルックス監督『プロフェッショナル』も本作の影響を受けながら、それを自己流にアレンジして成功した作品です。
日本でも放送され人気を博した『スパイ大作戦』なども『七人の侍』のエッセンスを上手く抽出しています。
どれも魅力的な作品ですが、面白さの土台を支えている要素のひとつに本作の構成があるのは間違いないでしょう。
引き続き『七人の侍』について掘り下げていきます。
巨匠といわれるハリウッドの名監督をインスパイアした『七人の侍』
今でこそ制作費ウン億円と話題作が公開されるたびに騒がれますが、『七人の侍』もひそかに巨額の制作費がつぎ込まれて作成されています。
なんと当時の制作費相場の7倍もの費用がかけられ、1年と言う長期に渡る撮影が行われました。
瞬く間に世界の話題作に登り詰め、世界的映画祭であるヴェネチア国際映画祭銀獅子賞を獲得するに至りました。
アメリカでも好評を得て、ハリウッドにおいてリメイク作品が制作されました。
さらには当時まだ若かったスティーブン・スピルバーグさん、ジョージ・ルーカスさんなどの世界的に名前が売れている巨匠にも計り知れない衝撃を与えることになります。
後になってルーカスさんは黒澤明さんと一緒に自分の作品を見る機会があり、映画のどの部分が黒澤さんの影響を受けたものなのか熱心に説明しています。
スピルバーグさんが手掛けた『プライベート・ライアン』でも影響をみることができます。
冒頭20分で土派手に展開されるノルマンディー上陸作戦のシーンは何度見ても息を飲む出来です。
このシーンを見ていて七人の侍の決戦シーンを思い出した方もいるのではないでしょうか?
おそらくスピルバーグ監督は七人の侍のドシャ降りの戦闘シーンからインスパイアされて、あのシーンを描いたのかもしれません。
スピルバーグ監督は映画の作成に入る前に『七人の侍』を見ることが定番になっているそうで、そうすると作品のどこかにそのエッセンスが入るのは当然と言えるでしょう。
斬新な映像演出で有名なマーティン・スコセッシ監督も七人の侍に影響された名監督のひとり。
幼少期には映画館に通いつめ、繰り返し本作を見ることでカット割を学んだと話しています。
そういえば、映画で初めてキャラクターが死ぬシーンをスローモーションにしたのは、劇中で志村喬が扮する島田官兵衛に斬られる罪人でした。
こんな魅せ方もあるのかと当時の映画ファンを唸らせたことでしょう。
『七人の侍』魅力的な百姓の描写
長丁場の本作ですが見入ってしまうので長いと感じることはありません。
カット割やセリフ、状況説明を兼ねた演出などが秀逸で、作品から気持ちが離れることがないのが理由でしょう。
チャンバラまでの尺の埋め方を考えるというより、どのシーンも魅力的にするにはどうするかという観点から全体のバランスを見て構成しているように感じます。
しかし一箇所、野党と化した武士たちとの戦闘がいささか冗長な印象を受けます。
ラストの雨降りしきる場面、それまでに戦闘が続いていたわけですから五郎兵衛と与平が討ち取られるシーンはもっと簡潔に描いた方が見ていて飽きないというかテンポが良かったように思えます。
それにしても本作の農民の描かれ方は生活感があって、単なる娯楽映画のエキストラ的農民の枠からはみ出た魅力があります。
寒村で野武士に怯えながら暮らす百姓を不憫に思ったり、過剰に恐れるあまり場を混乱させる行動をとる百姓にイライラしてみたり、妙に人間くさい。
大声を上げながら野武士から逃げ回ってみたり、捉えた野武士を考え無しにあやめてしまったり、その場限りの感情に押し流される様はいつの時代も変わらない一般大衆の性なのかと考えさせます。
黒澤監督も日頃から大衆の持つ衆愚性を感じていて、本作の農民をとおして、そういったものに対する戒めや皮肉の気持ちを視聴に伝えたかったかもしれません。
そういう意味では菊池代は黒澤監督の代弁者だったのかもしれません。
劇中で菊池代は自分の命を粗末にする老婆に『情けないヤツが大嫌いだ!』と叱咤します。
最後のシーンにおける活力ある農民の描き方を見ると、黒澤監督は弱々しく惨めな者が嫌いなのかと勘ぐってしまいます。
敗者は何もせずただ自身の境遇を嘆きます。
『自立した人間は自発的に行動し未来を切り開く、惨めな思いをしたくなければ頭を使って行動しろ』と劇中のキャラクターを使って黒澤監督は国民を叱咤激励したのかもしれません。
ただちょっと強者の理屈ですよね。
七人の侍は痛快娯楽作品ですが、ラストシーンでは見るものをスッキリした気持ちにはさせてくれません。
自らの命を投げ打って村を守った侍たち、多くの犠牲の上に勝利と幸福の旗印が振られているような、どこか儚さを感じさせます。
そういう苦味があるのも黒沢作品の魅力のひとつではありますが。
『七人の侍』で圧倒的才を見せる三船敏郎
アニメ映画でキャラクターが走ると言えば宮崎作品ですが、実写映画で走るといえば黒澤作品です。
引きの構図ながら大波が押し寄せるような怒涛の勢いで大勢が走り迫るシーンには特別な勢いと迫力があります。
無論、ぶっつけ本番でアレができるわけもなく、何度も試行錯誤を繰り返しながら行ったリハーサルの存在を感じさせます。
出演人の熱演も見逃せません。
特に三船敏郎は誰の記憶にも残る強烈な芝居の連続です。本作では自由闊達なキャラクタ菊池代をはじけた演技で表現しています。
菊池代と与平のやり取りも見所のひとつです。与平自体も面白いキャラですけど。
コメディーシーンでは左卜全の活躍も見逃せません。彼の演じるキャラクタは『どん底』でも魅力的でした。
数々の映画作品に出演した三船敏郎さんですが、ベストオブベストは菊池代です、一生変わらないでしょう。
本当に役者がこういう人間なんじゃないかと感じさせるパワーがあります。
屈託の無い笑顔と勇敢で鋭い表情、時には野獣のようにも見え、それが表情から消えると途端に憂いを帯びる。
どの顔も真実味があって、お芝居であることを忘れてしまいます。
主要人物以外に魅力的なのは先ほども話した与平などの百姓たちです。
雑に描かず一人ひとりキャラクタを立たせているので記憶に残って区別がつきやすい。
女房を野武士に奪われすっかり影を持ったキャラになった利吉、自分と娘以外のことはどうでもいい自己中キャラの万造、そしてその娘の志乃、どれも欠かせないキャラクタです。
ラストシーンで志村喬が扮する島田官兵衛が投げ捨てるかのように言ったセリフが忘れられません。
『勝ったのは我々ではなく、百姓たちだ』
『七人の侍』まとめ
黒澤明監督の第14作品目の映画『七人の侍』のあらすじと映画の解説をご紹介しました。
言わずと知れた黒澤明監督の最高傑作である『七人の侍』。
日本のみならず、世界の映画に影響を与えたこの作品は必見ですよ!^^
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